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秋も深まると、秋の外科の学会シーズンが近づいた感じがしてきます。

このころになると、毎年11月前後に開催される日本臨床外科学会総会と、12月前後に開催される日本内視鏡外科学会総会が近づいたことを感じながら過ごすことになるので、日常の臨床活動以外に、学会発表の準備をしなくては、と感じながらの毎日となりがちなのです。

私の場合は、11月14〜16日に高知で開催される日本臨床外科学会で重要な仕事があるので、準備をしなくてはならないのです。

もう高齢になって、特別会員の地位も得ているので、もっと気楽に学会に参加するだけで良くなるのかと期待していたのですが、今年はこれまでの「日本臨床外科学会賞」を受賞した人の中から数人を選出して、特別企画「これまでいかに地域医療に貢献してきたか」が開催されることになっていて、私も光栄なことに演者および討論者に選出されているので、その講演および討論の準備をしなくてはならないのです。

「最近3年間に、2回も脳出血で倒れて、記憶も不確かだからこんな重要な仕事は勘弁してもらいたい」と思ったのですが、私がいろいろな学会で相変わらず強い口調で意見を述べていることがバレていて、「加納先生には長年の外科医としての、厳しく激しい生きざまを若い人に披露していただく義務があります」と説得されて、この大役を結局は引き受けてしまいました。

講演者としての詳録はすでに提出してあるのですが、本番ではスライドを使って講演をすることが期待されているので、その準備が結構大変です。

きょうは久しぶりにパワーポイントを使って準備をしました。はじめはややぎこちない作業でしたが、10分もしたら調子が戻りました。

内容を少しご紹介します。

演題名は「第一線病院で沢山(たくさん)の手術をし、かつ、大学人に負けない学問的活動も続けよ。自分のため、地域のため、大志を抱いて生きよ!」となりました。

抄録を次にお示しします。たぶん、日本臨床外科学会から著作権違反とは言われないだろうと思っています。

幼小児期より病弱であった私は、中学時代にやっと運動面で自信を深め、アスリートとして生きて行こうと思いだした矢先、やはり体調不良に悩み出し、高1の時に医師を目指すことに決めこの道に入った。

医師になってからは、外科医としてのトップランナーになることを目指して生きて来た。卒後、入局した大学医局の都合で、一般病院の再建屋として、一般病院をハシゴして回っていたが、常に「誰よりも沢山の手術をして、かつ大学人に負けない学問的業績も上げて見せる」と思って生きて来た。

常に過労死と紙一重の生活を続けて、若くして日本消化器外科学会の評議員になり、さらに日本人として初めて米国外科学会インターナショナル・ゲスト・スカラーに選出された。1990年からは腹腔鏡下手術に強い興味を持ち、この面での業績が多くなった。

弟子の教育にあたっては、開腹手術と腹腔鏡下手術をはじめから並行して教える方法とearly exposure(しっかりした指導者の下で、早い時期から術者としての経験を積ませる)を強調してきた。一般病院にいながらも、これまでに6つの全国学会の特別会員に推戴された。論文・著書は筆頭ネーム分のみで270を越した。

外科医として生きて行く若い人たちには、一般病院にいても、大学人に負けない学問的業績を挙げることを忘れず、かつ、勤務先の経営にも貢献して生きて行ってほしい。

ベトナム戦争の終結により、米国人の若い医師達が大挙して帰国したため、外国人医師が米国へ入るのが困難になった時代に遭遇したため、留学のチャンスを失したが、それにも勝る臨床経験を得ようと努力して今日の自分を築くことができた。こんな私の生き方が評価され、日本臨床外科学会賞をいただけたのは望外の幸せであった。

心筋梗塞、脳腫瘍、脳出血、腎機能障害などを抱えながらも、これからも若い人達と競争するつもりで、地域医療人として、大志を抱いて生きて行く覚悟である。

振り返って見ると、必死に生きて来た結果、よくここまで業績を積み上げられたものだと、自分で自分を褒めてやりたくなりました。一般病院にいながら、ここまで学問的業績も挙げた人はこれからもそう出てこないだろうと自負しています。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院名誉院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

11月4日20時00分 308
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