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5日から7日までの3日間は、第32回日本内視鏡外科学会総会が横浜で開催されたため、特別会員として私も参加してきました。

この日本内視鏡外科学会は第1回が、1990年に開催されたのですが、当時はまだ学会ではなくて「研究会」として開催されたものでした。

私は1980年代後半に、まだ腹腔鏡下手術とか内視鏡下手術という概念が一般に認知されていなかったころから、将来、この手術ができないと患者さんに見捨てられるときが必ず来ると感じ取って、この手術を当時の勤務先であった松波総合病院で、この分野のパイオニアの一人になろうとして始めました。

当時はまだ腹腔鏡下手術用の手術器機が手に入らず、苦労したものでした。

何とかいろいろな手術器機を寄せ集めて、腹腔(ふくこう)鏡下胆嚢(たんのう)摘出術を始めて成功させたのは1991年3月15日でした。

手術を始めるに当たっては、当時の松波総合病院の外科スタッフ4人を集めて、これからの時代は腹腔鏡下手術ができないと外科医として生き残れない時代がくるから、当院でもこの手術を始めるからそのつもりで練習に励むぞ、と檄(げき)を飛ばしました。

手術器機が入手不能な時期にこの手術を練習しようというのですから、さまざまな困難がありました。

直視下(三次元)ではなく、二次元画像下に手術をしようというのですから、まずは二次元画像下にチーム全員が手術器機を動かす訓練をしなくてはなりません。少し練習をした段階で、部下たちは、「加納先生、こんなこと無理ですよ。やめましょう」と言い出しました。

私は、今この困難を乗り越えてこの手術をできるようにしないと、外科医として日本のトップランナーになれなくなるぞ、と説得しました。彼らは「僕は加納先生のように有名になれなくてもいいのです。先生の下で厳しい修業に励んだ後に、普通の外科医として生きていければ良いのです」と反論していましたが、何とか練習を続けてくれて、当時の岐阜県で第1例目、東海地方で2例目となる腹腔鏡下胆嚢摘出術を成功させてくれました。大学病院ではなくて、松波総合病院という一般病院でこれをやり遂げたことに意義があると思っていました。

数日のうちに新聞各紙がこのニュースを報じてくれて、またたく間にこの腹腔鏡下胆嚢摘出術が、患者さん方に認知されることになっていき、大勢の患者さんが松波総合病院へ来て下さるようになりました。

私は当初から、この手術を自分だけができて満足してはいけない、部下たちもすぐにできるようにしなくてはいけない、と考えていましたので、まず最初の10例は自分が術者としてやり、全て成功したら、次には次席の部長Mを術者にして私の前立ち指導下に10例を施行する、と宣言しました。その後には、さらに、若手のF医師にも術者として手術に参加するチャンスを与えましたので、当時、F君は日本で最も若くして、新手術=腹腔鏡下胆嚢摘出術の術者になった外科医と言われるようになりました。

こんな思い出のある腹腔鏡下手術ですので、この日本内視鏡外科学会は私にとっては、自分の一生に大きな影響を与えた、とても大切な学会でもあるのです。

長年のこの分野での貢献が認められて、現在は特別会員に推戴されておりますので、今後も同会の発展に陰ながら尽くしたいと思っております。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院名誉院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

19年12月9日 794

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