ニュース » 記事詳細
「砂と枯草」を前に左から富永教育長、白石町長、溝口和さん、かおりさん=鋸南

南房総描いた作品13点

光陽展で文部大臣奨励賞、県展で知事賞などを受け、繊細な筆遣いで画壇に確固たる地歩を築き、昨年10月に83歳で死去した、洋画家の溝口七生(かずお)さんの遺族が29日、地元・鋸南町に油絵13点と額装代金100万円を寄付した。小学校教員として房州に勤務。房州の自然をこよなく愛し、繊細な絵で表現し続けた。門下の子弟も育てた。「大好きな房州で生涯を終え、その房州に作品が収まることを本人が一番喜んでいると思う」と妻・和さん(84)。同様の寄付を公益財団法人鋸山美術館(富津市)、館山市にも行う予定。

溝口さんは東京都出身。両親の仲人が岡倉天心の弟で教育者、岡倉由三郎で、長男だが「七も数のうち」として命名されたという。

東京学芸大学卒業後、東京都の教職員となり、独学で絵画の道を歩む。房州各地にある東京都区の児童養護施設に勤務し、小学生との触れ合いをこよなく愛した。「自然の中で子どもたちと過ごしたい」と、都内での勤務や出世を望まず、南房総エリアを愛し、鋸南町を拠点に創作活動を続けた。

当初は1人だけの活動だったが、その繊細なリアリティーある絵の魅力が広がっていき、絵画の仲間を増やした。展覧会にも出品、各賞を受けたが、房州の風景を愛することはやめず、生涯、地元で絵筆を握った。

和さんや長女のかおりさん(55)が遺品を整理していたところ、膨大な作品の中から、作品の寄贈先を書いたメモが見つかった。

長年住んだ鋸南町には、第33回光陽展で観覧者賞を受けた「砂と枯草」(1990年、P120)など、13点を寄贈することに。

和さんとかおりさんが29日、菱川師宣記念館を訪れ、作品を納入。白石治和町長と富永安男教育長に額装代金を贈った。

和さんは「自分たちの住む町に、美術館があることをとても誇りに思っていた。夫も自分の作品がここに収まることをとても喜んでいると思う」と話す。「夫の描いた絵を多くの人に見ていただければ光栄」とも。

かおりさんは「今回寄贈させていただいたものは、公募展に出品するために描かれた大作が中心。作家としても時間と労力を注ぎ込んで仕上げるものだが、気軽に飾って楽しめる大きさではないので、こうやって寄贈させていただき、適切な管理の下、保管、展示していただけ、より多くの方の目に触れる機会をいただける、ということは作家にとって本望であろうと思う」と寄贈の思いを語る。「私にとって、故郷・南房総の風景は、いつも父の絵と重なる。海を見、山を見れば父の絵を思い出し、父の絵を見れば、故郷の風景を思い出す」と亡き父への憧憬(しょうけい)も忘れない。

寄贈を受けた白石町長は「これだけの作品を一度に寄贈いただき、ありがたい。何らかの形で(菱川師宣記念館で)展示をしたい」と礼を述べた。

鋸南町に寄贈された作品は、次のとおり。

▽「平砂浦にて」=M30、1997年

▽「丘の樹」=P20

▽「トドワラにて」=F50、1987年、第39回県展

▽「流木」=F50、1997年、第49回県展

▽「砂と枯草」=P120、1990年、第38回光陽展観覧者賞受賞

▽「壊されし高原」=P120、1985年、第33回光陽展

▽「枯れ草の丘」=P120、1988年、第36回光陽展

▽「布良の砂丘」=F50、1985年、第37回県展

▽「砂丘・流転」=F50、1982年、第34回県展

▽「砂丘」=F50、1990年、第42回県展

▽「樹・屈折」=M100、1979年、第3回千葉美術シンポジウムホルベイン賞受賞

▽「樹」=F100、1976年、第24回光陽会展

▽「樹々の墓標(トドワラ)」=F100、 1987年、第35回光陽展

【写真説明】「砂と枯草」を前に左から富永教育長、白石町長、溝口和さん、かおりさん=鋸南

5月30日20時00分 831

各ページに掲載の記事・写真・図表など無断転載を禁じます。著作権は房日新聞社または情報提供者に属します。

Copyright (C) 2007 Bonichi. All Rights Reserved