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座談会では6人が福原の人となりを報告した=文化ホール

つどいで市民ら200人が聞き入る

館山市出身で資生堂創業者の福原有信の功績を顕彰する「ふるさと松岡の偉人・福原有信を語るつどい」が15日、南総文化ホールで開かれた。没後90年の記念行事として、地元の同市松岡区に発足した「福原有信を語り継ぐ会」が、NPO法人安房文化遺産フォーラムとの共催で開催。集まった市民ら約200人が、郷土が生んだ偉人の功績に耳を傾けた。

つどいに先立って行われた午前の現地見学会には40人が参加。福原が鳥居を奉納した松岡八幡神社や菩提寺である小塚大師などゆかりの地をめぐった。

午後1時半から開会したつどいでは、資生堂企業資料館(静岡県掛川市)の佐藤朝美氏が、「福原有信と資生堂〜人びとの幸福と健康のために」をテーマに記念講演。佐藤氏はこの中で、福原が里見氏の家系であることや、幼いころから漢方医の祖父から薬草について学び、医薬分業の先駆者として資生堂薬舗を起こしたこと、帝国生命保険会社を設立経営したこと、長女が館山病院の初代院長川名博夫に嫁いだことなどを語った。

第二部の座談会では、福原家分家の福原勇さん、語り継ぐ会世話人の早川萬専さん、早川政義さん、吉田茂徳さん、安房歴史文化研究会長の天野努さん、安房文化遺産フォーラム代表の愛沢伸雄さんが登壇。「福原家の敷地には30年くらい前まで薬草が残って生えていた」「海上安全祈願の金毘羅山には福原家と布良の人物名が刻まれた鳥居がある」「布良の海難対策として帝国生命保険が有益であった」「後に千葉銀行となる安房銀行を設立した」「館山病院の震災復旧に尽力した」ことなど、ふるさとへの貢献も大きかったという報告があった。

また、福原とともに日本薬局方の制定に尽力した日本を代表する法制学者、細川潤次郎が同市国分寺の万石騒動三義民200回忌記念碑の撰文者であり、小塚大師にある福原家の墓と大神宮七人様の犠牲者2人の墓が隣り合っていることから、「これらの農民一揆で先人が連帯感と犠牲者への補償を重視していたことを福原が知っていた可能性が高く、起業の精神につながっていたのではないか」という、これまでになかった仮説が愛沢氏から発表された。

地元松岡区では、資生堂が企業メセナとして推進している生物多様性保全の椿の森プロジェクトに賛同し、福原生誕の地に椿を植林するとともに顕彰碑を建てたいという発言もあった。

【写真説明】座談会では6人が福原の人となりを報告した=文化ホール

14年2月21日 2,893
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