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タイトル:鋸南 米軍戦闘機銃撃の「市部瀬の惨劇」 犠牲機関士の親族が献花
掲載日時:2020年05月14日(木曜日) 20時00分
アドレス:http://www.bonichi.com/News/item.php?iid=13483

現場で献花した門さん(立ち位置左)と山野井さん(前列)、川名さん(立ち位置右)=鋸南

75年の節目に関係者感慨無量

1945年(昭和20)5月8日に、鋸南町下佐久間で起きた、「市部瀬の惨劇」。米軍戦闘機P51が列車を機銃掃射、死者13人、負傷者46人を出した。地元の有志らが2011年に、恒久平和を祈念する石碑を現地に建てた。以来、地元有志が毎年のように、この日に献花している。今年は当日、亡くなった機関士の親族が訪れ、地元有志らと面会した。関係者は75年目の縁(えにし)を感じ取っている。

太平洋戦争末期、安房鴨川行きの下り列車が午前11時50分ごろ、現在の食堂「みちばたや」辺りを通過した際、P51戦闘機が3機、北の空から飛来し、先頭の機関車を銃撃した。立ち往生した列車に、2機目の米軍機が機銃掃射。乗員・乗客を直接射抜き、死者・傷者合わせて59人の惨劇となった。

この惨劇を後世に伝えようと、地元の有志らが「明日の鋸南町を考える会・子どもの未来に平和を実行委員会」を組織、2010年の同日の同じ時刻に現地で献花をして犠牲者を悼んだ。この年の夏には、車掌として乗り合わせた男性が新しい証言をし、生き証人として惨劇を語り継いだ。

その後、現地に恒久平和を祈念する石碑を建てようと、同会のメンバーが奔走、資金を集めた。現場付近の線路脇に、台座を含めて160aの黒御影石製の祈念碑が建てられた。2011年のことだ。

2015年には、この列車に乗り合わせた、同町中佐久間在住の男性も献花に駆け付けた。

以降、毎年5月8日に献花を続けてきた。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、ごく少人数での献花の会となった。山野井孝子さん、川名静子さんらが8日午前に現地を訪れたところ、一人の男性に出会った。茂原市在住の会社員、門秀行さん(60)だった。

門さんは、銃撃で亡くなった機関士の親族。門さんの父方の祖父の妹の夫で、出口さんという。旧国鉄の機関士として京都で勤務していたが、戦争中に千葉県に配属になり、単身赴任していた。運転中に事件に遭遇したという。

門さんが幼いころ、父親から襲撃事件のことを聞いており、茂原市の会社に勤めるようになってからは、関連の新聞記事を読んで、幼いころの記憶がよみがえったという。

事件現場で、ねんごろな献花が続いていることを知り、6年前から命日前後に毎年、祈念碑を訪れて献花している。勤務の関係で8日に来られないこともあり、今年初めて山野井さんらと現地で顔を合わせたという。

本紙の取材に対し、門さんは語る。「なにぶん、当時の関係者が皆、鬼籍に入っており、分からないことも多いが、自分は亡父の生前中に、現地に参ることを約束している。慰霊には6年間通った。地元の人との交流も果たせて、長年のもやもやが解けた」。

献花を主宰している山野井孝子さんは「遠い茂原から6年間も足を運んでくださったなんて、感激です。今年はコロナ禍で少人数の慰霊だったので、門さんと出会えたのでしょう」と、献花開始から10年目の節目に、思いを深くしている。

【写真説明】現場で献花した門さん(立ち位置左)と山野井さん(前列)、川名さん(立ち位置右)=鋸南

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