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タイトル:駆逐艦「朝霜」の輪 北へ 本紙記事が「反戦・平和」つなぐ
掲載日時:2014年12月06日(土曜日) 20時00分
アドレス:http://www.bonichi.com/News/item.php?iid=9593

松岡裕子さんが本社に宛てた手紙

あす太平洋戦争開戦記念日

「若き父が乗っていた艦に、ご縁のある方々がお元気で、あの時代のことを書き記した文章に出合え、感激しています」――。北海道美唄市に住む女性から、房日新聞社に和紙の便せんにしたためた手紙が届いた。本紙で8月に掲載した鋸南町中佐久間、渡辺開夫さんの手記を読んだ女性だ。戦後69年を経て語り継がれる戦史。あす12月8日は「太平洋戦争開戦記念日」。

同市に住む松岡裕子さん。父・板垣幸治さんは18歳のとき、昭和18年5月1日付で、海軍横須賀海兵団に入隊。19年2月22日付で駆逐艦「朝霜」乗り組みとなる。渡辺さんと同艦だ。

19年11月12日に戦傷を負い、103海軍病院に入院する。渡辺さんが米軍艦載機の機銃弾を受けて負傷した7日後だ。

板垣さんは軽快退院後、輸送艦に乗り、サイゴンやシンガポールを往復した。20年9月に復員し、戦後は郵便局の集配員として働く。結婚し、裕子さんらをもうけるが、37年1月16日に急逝する。小さかった裕子さんには、ほとんど父の記憶がなかったが、物置にあった軍隊時代の履歴表を見つけた。

さらに今年8月、いとこが裕子さんに『駆逐艦勤務 旧海軍の海上勤務と航海実務』(文芸社刊)を送ってくる。朝霜乗員の矢花冨佐勝さんの本だ。矢花さんも19年11月5日に戦傷を負い、入院。渡辺さんや板垣さんと同じ運命をたどる。

矢花さんと手紙のやり取りをすると、朝霜と同型艦の「長波」の絵が送られてくる。さらにインターネット検索で、本紙8月15日付の記事を見つけ、本社に電話した。本紙記者は当該記事と、渡辺さんの回顧録の連載コピーを郵送。この記事を読んだ裕子さんが、本紙に手紙をしたためた。

「渡辺さんと矢花さんは、11月5日のマニラ湾の空襲で負傷し、父は11日のレイテ島オルモック湾の輸送作戦に従事し、ほかの艦が全部沈んだなかで、朝霜だけがマニラに帰り、負傷した父は12日に入院したようだ」と書く。さらに「私の周りでは、戦争の体験をしている人も少なくなり、私の世代では遠い昔のことのようです」と続ける。

封筒には長波のカラーコピー、板垣さんの軍歴、写真のコピーも同封されていた。和紙の便せんには「渡辺さん、矢花さんに出会えたことは『私の永遠のゼロ』です」と心情を文字に。手紙の最後は「反戦、平和への誓いを(房日新聞で)記事にしてください」と結ばれている。

房総半島の兵士の記録が、遠く北海道の家族へその輪を広げた。語り継がれる「反戦・平和」は、自然と広がっていく。

渡辺さんは広がる縁に驚き、「(自分の)記事が平和につながったのなら」と話す。板垣さんの誕生日は「大正15年12月8日」。不思議な縁はつながる。

【写真説明】松岡裕子さんが本社に宛てた手紙

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